犬の認知症
1年以上前に認知症が発覚した我が家の愛犬パピーですが、相変わらず夜中に突然頭が繋がらなくなるときが。
先日、夜中に娘がか細い声で
「お母さん、お母さん」
と呼びました。
どした?熱?コ、コロナ!?
飛び起きて様子を見る限り元気そう。
「お母さん、パピーがお風呂に入って鍵を閉めちゃった?出られなくなって暴れてるの」
遠いところでガリガリやってるなあと思ったけど、お風呂でやってたのかあ。
で、鍵を閉めたとな?
そこからが大変!夜中3時半!娘と二人で鍵を開けるために悪戦苦闘。
「わかった!ここじゃない?」
とシールの下に隠れた非常鍵に娘が気づいたのは、30分後のこと。
やっと鍵を開けてパピーを救出しました。やれやれ!お陰で寝不足になりました。
認知症は治らないだろうけど、これ以上ひどくなってもらっては困るわ~(>_<)
一周忌
早いもので母が亡くなって1年。
今日、一周忌の法要を行いました。
コロナの影響もあり、母の兄姉弟妹のみ参列してもらい、家族を合わせて9名での法要となりました。
我が家でこんなこじんまりした法事なんて初めてのことで、父はずっと機嫌が悪く、先週末はハンストまでしていましたが、今日無事に終わり、みんなこの状況では仕方ないよ、と言ってくれたのでようやく機嫌が直りました。まあ、キチンとした形でできないことをずっと気に病んでいたんだろうなと思うと、仕方ないかなと思うのですが。
東京にいる息子も帰ってきたい気持ちはありましたが、新幹線に長時間乗せるのもどうかな~と思い、帰らせず。
同じく他見に出ている妹夫婦も、帰らないで欲しいとお願いしました。我が家の主催した行事で、感染者が出ては、申し訳ないし叔父や伯母は年なので、とにかく少しでもリスクを低くしておきたくて。
帰りたい妹と待ったをかける私とで大バトルとなり、娘に
二人とも落ち着いたら?ケンカ両成敗だよ。
と言われる顛末も(笑)。
日増しに深刻になるコロナの状況を見て、妹も納得してくれたので、ホッとしました。
早く落ち着いて、みんなで母のお墓参りに行きたいなと思っています。
桜満開の中、昨年母を見送り、今年もまた満開の日に法事ができ、桜を見ると母を思い出すようになりました。
母のお気に入りの桜スポットに行き、毎年お弁当をもって花見に来たなあとか、川に流れるように咲いてる姿が好きだったよね、と母を偲びました。
いつもは花より団子の娘も、
桜はばあばの花だよね
としんみり花を見ていました。
桜とともに家族を見守ってくれているだろうと、母のことを思う一日になりました。
コロナで亡くなるということ②
志村けんさんが亡くなったことで学んだこと。
誰が同じようになっても不思議はない、ということ。いつなってもおかしくないということだ。
そしてもう1つ。
志村さんのお兄さんが会見された映像を見て、私も含めみんな肝に命じるべきだと痛切に思った。
私の記憶力なので、大雑把なところしか再現できないが、次のようなやり取りだった。
Q)志村さんのお見舞いには行ったか?
A)お見舞いには行けなかった。
Q)亡くなったときは?
A)顔を見ることはできなかった
Q)お別れはどのような形で?
A)すでに棺に入っていたのでその外からお別れした。
Q)お別れの時も顔を見ることはできなかった?
A)できなかった。
Q)何て声をかけたか?
A)長い間お疲れ様、と。
Q)その後は?
A)火葬されて骨壺に入った状態で帰ってきた。
Q)どう思ったか?
A)重いな、と。
このようなやり取りだったと思う。
志村さんのお兄さんは、大スターの身内を振りかざすような方ではなく、本当に感じの良い、志村さんに似た柔らかい雰囲気の方だった。
年上の方に対して失礼な言い方かもしれないが、素直に思ったままをお話しされているようでとても気持ちが伝わった。
まず、思ったのはコロナに感染すれば家族も面会できないということだ。自分や家族に置き換えて考えてみてほしい。顔を見ることもできない状態で、危険な容態だったら?
そして、さらに亡くなる時も亡くなった後も顔を見ることはできないということ。
退院できるのであれば、感染するといけないから仕方ないねと思えるだろう。しかし、亡くなってしまったら?
誰に会うこともできず、看取ってもらうこともできず、最後にお骨も家族にあげてもらえないということだ。自分や家族がそうなっても、「感染することないかな」とか「自分は大丈夫かなと思う」と言う人を「そうだね」と肯定できるだろうか。
私事だが、ちょうど1年前に亡くなった母は、家族や親戚に見守られ、孫二人に左右の手をつながれたまま息を引き取った。
母にしてもらったことを返すこともできず、不肖の娘ではあるけれど、孫たちが心から悲しんでくれることは、母に何よりの親孝行になったと思う。
同時に私もそういう最期を迎えられたら幸せだろうなと思った。しかし、コロナにかかれば、そんなことは不可能だ。誰にも会えず一人で旅立つしかない。想像するだけで、とても寂しい最期だ。
どんなに気をつけても感染することはある。それは仕方ないことだ。
でも、何も考えず行動している人たちには、もっと考えてほしいと思う。そんな最期を覚悟できて行動しているのか?
誰かにそういう状態を味わわせるかもしれないと想像したことはあるのか?
志村さんは偉大だと思う。
日本のあらゆる世代に影響力のある人だからこそ、コロナの真実を伝えてくれた意味は大きい。
それを無駄にしてはいけない。
感染が拡大している今こそ、志村さんが残してくれた課題を考えなければいけない。
ありがとうございました。志村さん、安らかにお休みください。
コロナで亡くなるということ①
志村けんさんが亡くなった。
一報を聞いて自分でも驚くほど衝撃があった。
同時に、かなりのヘビースモーカーで、持病もあると漏れ聞き、重体とウワサもあったので、本当だったんだと思う気持ちもあった。
40代後半の私にとって、お笑いの原点と言えば何をおいてもドリフターズである。
今と違いテレビ鑑賞が親の管理下にあった頃、見ても良い番組は限られていた。その中で、親子で何より楽しみにしていたのは、土曜日8時からの「8時だよ、全員集合!」である。
その中で、志村けんさんは本当におもしろくて、大人にとっても子どもにとっても大スターだった。
ひげダンスも東村山音頭も独特のキャラクターもみんなで真似をして私たちに笑いの楽しさを刻み込んでくれた。
そんな志村けんさんの訃報は私の世代にもそして娘たちの世代にも大きな喪失感をもたらしていることは疑いようがない。
まさか、こんな形で亡くなるなんて!
ご本人もご家族も周りの方々も信じられない気持ちだろう。いろいろなことを志村さんから学んだけれど、亡くなるときにも世の中のみんなに大きなメッセージを残していかれたのではないかと思う。
トイレットペーパー
カキに当たり、思いの外しばらくダルくしんどい日々でしたが、そうこうしている間に世の中ではコロナウイルスが感染を広め、トイレットペーパーやティッシュがお店から消えるという驚きの光景が!
これって、あれだわ~
テレビで見たオイルショックの映像!
などとのんきなことを考えていましたが、我が家では毎月お給料が出てから月末に日用品を買うようにしてるので、かなり焦りました。
幸いちょこちょこ見かけたので手に入れることができましたが、午後には棚はすっからかんの状態でした。
本当にいつになったら収まるのか。
糸口が見えない感じですが、もし、オリンピックが開催できないとなると日本経済はどうなっちゃうんだろう???と不安になります。
すでに倒産したり一時休業したりという話も聞きますし、これからどうなるんでしょう?
不安ではありますが、今できることを1つ1つやっていくしかない!と仕事をがんばろうと思います。
当たり!
学校の試験休みで帰省している息子と夫と3人で、土曜日にお魚がおいしいお店にご飯を食べに行きました。
息子が1度生ガキを食べてみたいと言うので、頼んでみたら大きくてプリプリ!6つ入って600円と値段もお手頃で、3人で喜んで分けて食べました。
が
日曜日に息子が東京に戻り、月曜日、普通に仕事をして。夕方のこと。
何だか少しだけ胃の辺りが痛いな、ダルいな。
と思い始めました。
家に帰ると、ダルさで台所に立つのがおっくうになり、ちょっとソファーに座って休んでいると、息子からラインが。
「カキに当たった。ダウン」
え~!?
食べてから2日経ってるのに?
何でも潜伏期間が1日から2日らしく、間違いないだろうとのこと。そうなのかあ。じゃあ、もしかして、私のダルさもそうってこと?
何とか父のご飯だけ出して、ダルくて寒気がするのでソファーに横になっていると、夫が帰宅。
「ボクもすごい下痢」
じゃあ、ビンゴ!?
カキに当たったのね!?
その後、私も嘔吐と下痢でトイレと友達になり、とにかくスポーツドリンクを飲んで、出してを繰り返し、少し良くなりました。
今日は朝起きたものの、眠くてまたソファーでダラダラ寝てしまい、気づくと夕方の4時。何も食べずぐっすり寝たのでかなり気分も回復しました。
初めて当たったのでしんどかったけど、軽い方だったと思うので、マシな方だったかも。
せっかくのお休みがやれやれな日になってしまいました。残念!