日本礼讃

最近和のものっていいな、とか日々の生活を少しでも素敵にしていきたいとがんばっている様子をブログにアップしていきたいと思っています。

コロナで亡くなるということ②

志村けんさんが亡くなったことで学んだこと。
誰が同じようになっても不思議はない、ということ。いつなってもおかしくないということだ。
そしてもう1つ。
志村さんのお兄さんが会見された映像を見て、私も含めみんな肝に命じるべきだと痛切に思った。
私の記憶力なので、大雑把なところしか再現できないが、次のようなやり取りだった。

Q)志村さんのお見舞いには行ったか?
A)お見舞いには行けなかった。
Q)亡くなったときは?
A)顔を見ることはできなかった
Q)お別れはどのような形で?
A)すでに棺に入っていたのでその外からお別れした。
Q)お別れの時も顔を見ることはできなかった?
A)できなかった。
Q)何て声をかけたか?
A)長い間お疲れ様、と。
Q)その後は?
A)火葬されて骨壺に入った状態で帰ってきた。
Q)どう思ったか?
A)重いな、と。

このようなやり取りだったと思う。
志村さんのお兄さんは、大スターの身内を振りかざすような方ではなく、本当に感じの良い、志村さんに似た柔らかい雰囲気の方だった。
年上の方に対して失礼な言い方かもしれないが、素直に思ったままをお話しされているようでとても気持ちが伝わった。

まず、思ったのはコロナに感染すれば家族も面会できないということだ。自分や家族に置き換えて考えてみてほしい。顔を見ることもできない状態で、危険な容態だったら?
そして、さらに亡くなる時も亡くなった後も顔を見ることはできないということ。

退院できるのであれば、感染するといけないから仕方ないねと思えるだろう。しかし、亡くなってしまったら?
誰に会うこともできず、看取ってもらうこともできず、最後にお骨も家族にあげてもらえないということだ。自分や家族がそうなっても、「感染することないかな」とか「自分は大丈夫かなと思う」と言う人を「そうだね」と肯定できるだろうか。

私事だが、ちょうど1年前に亡くなった母は、家族や親戚に見守られ、孫二人に左右の手をつながれたまま息を引き取った。
母にしてもらったことを返すこともできず、不肖の娘ではあるけれど、孫たちが心から悲しんでくれることは、母に何よりの親孝行になったと思う。
同時に私もそういう最期を迎えられたら幸せだろうなと思った。しかし、コロナにかかれば、そんなことは不可能だ。誰にも会えず一人で旅立つしかない。想像するだけで、とても寂しい最期だ。

どんなに気をつけても感染することはある。それは仕方ないことだ。
でも、何も考えず行動している人たちには、もっと考えてほしいと思う。そんな最期を覚悟できて行動しているのか?
誰かにそういう状態を味わわせるかもしれないと想像したことはあるのか?

志村さんは偉大だと思う。
日本のあらゆる世代に影響力のある人だからこそ、コロナの真実を伝えてくれた意味は大きい。
それを無駄にしてはいけない。
感染が拡大している今こそ、志村さんが残してくれた課題を考えなければいけない。
ありがとうございました。志村さん、安らかにお休みください。